蓮池通信
子ども×神奈川県立美術館・鎌倉館

無言館館主 窪島誠一郎さんへの手紙

窪島誠一郎さんへ

はじめまして。私は横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉小学校の6年1組、○○○○といいます。外で遊ぶより中で遊ぶ方が好きで、絵を描くことが大好きです。私が通っている附属鎌倉小学校では、他の学校ではできない色々なことを自分達で決めてやることができます。例えば、私たちのクラスは5年生の時から近くの「神奈川県立近代美術館」に絵の鑑賞をしに行ったりしていました。また、3年生からは毎年自分達でグループを組み、活動をする宿泊学習を行っています。私たち6年生は夏休みに3泊4日、長野県と山梨県の間にある八ヶ岳に行ってきました。

なぜ今私が窪島さんにお手紙を書かせていただいているかというと、クラスで無言館の学習をしているからです。

ある日、社会の授業で担任の先生が、自分が沖縄に行ったときのことを話し始めました。そこから6年1組の沖縄の学習が始まりました。沖縄について学んでいくうちに、明るい沖縄の影の部分、つまり太平洋戦争中の日本で唯一の地上戦が行われたこと、そして沖縄の人たちにどんな影響がおよんだかを学びました。それより前から5年生の頃から私たちのクラスは絵の鑑賞をしてきたので、戦争のことと鑑賞が結びつき、無言館の学習につながったのです。

無言館の学習が始まって最初に鑑賞した絵は戦没画学生・伊沢洋さんの「家族」でした。クラスでその絵を鑑賞している時に私は学校を休んでいました。何日かして学校へ行くと机の中にプリントがたまっていて、その中に「家族」の絵はありました。一瞬、その絵を見たときは戦争に行く前に自分の家族の風景を描いた絵で、自然に裕福な家だと思い、その絵をしまいました。でも、授業で聞いた話によるとその風景は現実のものではなく、作者の家族への想いが詰まった理想の風景だったことが分かりました。戦争中でも人の心に豊かな面があるということに私は驚きました。

無言館の学習の中で、窪島さんの「無言館にいらっしゃい」を数回に分けて読ませていただきました。その中で印象深かった言葉を挙げたいと思います。1つ目は、『ぼくたちの楽しかったあの頃の日記なんだと、アルバムなんだ』です。画学生は戦争で死んでしまったけれど、彼らの残した絵は徴兵までの少ない日々に自分達が生き、こんなにも楽しく生き、こんなにも楽しく過ごしていたんだ、という画学生のもうひとつの「命」だと思いました。2つ目は『「自分の考え」をしっかり持ち、その「考え」を深めてゆくことがどれだけ大切かということにも気付かされますね。』です。画学生の生きていた時代は天皇陛下のために絵筆を鉄砲に代え、戦場へ向かわなかればならなかったような時代で、日本中が戦争を賛美して、自分の考えが分からなくなっていたと思います。戦争反対を唱えれば非国民とされ、世間からは白い眼で見られる。「そんなのっておかしい」と今の平和な時代なら言えるけど、画学生が生きていた時代にはそんなことは言えません。だからこそ、自分の意見をしっかりと持つことは大切だと思います。最後に『私たちは自分にあたえられた「命」を「生命」に変えて初めて「生きている」と言えるのかもしれません。』という言葉が一番印象深かったです。今、私が生きている時代は平和で戦争のない時代で、別に何かを頑張らなくても生きていられる時代です。何かに今すぐにうちこまなくても明日でも明後日でもいつだってやろうと思えばできます。でも画学生は違いました。徴兵までのわずかな期間で「命」を「生命」に変えたと思います。画学生はやっぱりすごいと思いました。このように「無言館にいらっしゃい」を読み進め、印象深い言葉を見つけていくうちに、無言館に行ってみたいという気持ちが固まってきました。

窪島さんは知っているかもしれませんが、1学期の初めの頃にクラスで千羽鶴を無言館におくる、という計画が持ち上がりました。作り始めた時は自分なりに頑張っていたつもりだったけど、多分、それは「つもり」であって、本当に頑張っていた訳ではないと内心では気付いていました。鶴を折るのもあまり上手くいかず、しゃべったりしていたので、本当にこれでいいのかなぁって思うようにもなってきました。そんな中、八ヶ岳へ宿泊学習に行った2日目、宿舎で千羽鶴を無言館へ持っていかない、ということが決まりました。なぜそのようなことになったのかというと、クラスのほとんどの鶴が雑に折ってあって、メッセージを書いた短冊の文章の内容もひどいものが多いので、皆の気持ちも一致して、持っていかないことに決めました。私自身もこんな失礼な文章と千羽鶴を、画学生の「生命」が飾ってある無言館に持っていこうと考えたことが恥ずかしくなりました。

千羽鶴を無言館に持っていかないことを決めた次の日、早朝からグループごとに無言館に向かいました。宿舎の方の気候と、上田市の気候は全く違い、暑くてしようがありませんでした。でも、無言館が見えるとどのグループも一目散に走り出していました。到着した時の気持ちは、写真で見たとおりの建て物だ、と単純に思い、作品から言葉を拾えるかどうか不安でした。

無言館の中での45分間で感じたことは、「何か、思っていたものと違う」「いつもみたいに文章が進まない」「詰まるって感じ」などです。でも、何も感じられなかった訳ではなく、絵から発しているものが大きすぎたから思うように感じられなかったのだと思います。あんな絵を描いた人が戦場へ行って死んでしまったなんて現実的に信じられませんでした。そんな風に思っているうちに終わりの時間が来てしまって、自分は画学生の気持ちを感じられたか分かりませんでした。

無言館を訪れてみて、改めてここに千羽鶴を持ってこなくてよかったと思いました。絵を見て、遺品を見て、記憶のパレットを見て、戦没画学生のあの時代でも強く生きた気持ちに、私が折った鶴は全く達していないと思ったからです。

八ヶ岳の生活が終わり、2学期が始まりましたが無言館の学習は終わりません。なぜかというと、何もかもが中途半端だったからです。千羽鶴も、戦没画学生に感じた気持ちも、作品に感じた気持ちも。今の状態じゃ終わらせてはいけないし、画学生に失礼だと思ったからです。そして2学期の無言館についての学習は、画学生の描いた絵を鑑賞して、感じたことをそのまま発言するということをしています。ほとんどの人が発言します。

半年近く続けた無言館の学習の中で私が感じたことは、画学生の、あの時代でも強く生き抜いた気持ちをまっすぐだとすれば、私の気持ちは曲がっていると思いました。無言館の学習をしているうちに、自分が戦争にあったときに画学生のような気持ちで死と向き合えるかどうか、と思い、とてもできないと思ってしまうことがあります。

また、今の世の中は平和ですが、この平和が崩れそうになった時、自分の意見をしっかりと持ち、悪い考えに流されないことを窪島さんに約束したいと思います。

6年1組全員と担任の先生は窪島さんがいらっしゃるのを待っています。

ぜひ、鎌倉にいらして下さい。
お願いします。

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